M@Mについて
エム・アット・エムと呼んでください。美術家・森村泰昌の作品がいつでも見られる、スペシャルな美術館です。フロア面積は400㎡。ふたつの展示室とライブラリー、サロン、ミニシアター、ショップがあり、それぞれの部屋にはモリムラによって名前がつけられています。
白い闇の回廊|Gallery I
約7.8×15.7mの長方形の展示室。家具店のショールームとして使われていた部屋をリノベーションし、白い壁とコンクリートの床によるニュートラルな展示空間を創出します。レンブラントの《屠殺された牛》をモティーフにしたモリムラの《白い闇》(1994年)から命名されました。
時をかける箱庭|Gallery II
「白い闇の回廊」と隣り合う、約7.8×7.8mの正方形の展示室。時間を越えて自由自在に行き交うアートが、小さな空間に無限に広がるさまをイメージして、こう名づけられました。
ギ・装置 M|Cinema
客席24のミニシアター。モリムラの映像作品を上映するほか、レクチャーやトークの会場としても使われる予定です。1996年に横浜美術館で開催された「森村泰昌展 美に至る病—女優になった私」で初公開された実験映画「ギ・装置 M」(監督:伊藤高志)にちなんでいます。なおこの映画タイトルは、東京大学名誉教授・小林康夫氏によって考案されました。
記憶の樹|Library & Salon
森村泰昌の展覧会カタログや著書など、アーカイヴ資料が並ぶライブラリーと、静かで落ち着いたくつろぎのためのサロン。木製の本棚を木の幹に、書籍の数々をそこから茂る葉になぞらえた「記憶の樹」のスペースでは、過去から現在までのモリムラの活動の全てを閲覧いただけます。光がふんだんに差し込む、居心地のよい空間です。
森村屋商店|Museum Shop
モリムラの展覧会ポスターや各種ポストカード、特製モリムラTシャツ、オリジナルマルチプル作品、入手困難なカタログや書籍など、他所では手に入らないモリムラグッズを取り揃え、お待ちしています。
M@Mはなぜ北加賀屋にできたのですか?
M@Mは、大阪市住之江区の北加賀屋という町です。大阪湾にほど近く、かつては多くの造船所があって賑わいを見せたこの地域は、1980年代から次第に活気を失っていきましたが、2004年に名村造船所跡地が近代化産業遺産に指定されたのをきっかけに、芸術・文化の発信地として活用する取り組みが始まりました。2009年には「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想」がスタート。アーティストやクリエイターたちの活動拠点となっています。
森村泰昌との縁も深く、初の長編映画《「私」と「わたし」が出会うとき—自画像のシンポシオン—》(2016年)での撮影にあたって、北加賀屋のいくつもの場所がロケ地となりました。また、この映画が初公開された国立国際美術館での個展「森村泰昌:自画像の美術史—「私」と「わたし」が出会うとき—」と同時期に、北加賀屋の名村造船所跡地にある「クリエイティブセンター大阪」では、「森村泰昌アナザーミュージアム」と題して、映画で用いたセットや小道具などを展示する展覧会(主催:NAMURA ART MEETING ’04-‘34実行委員会)も行われました。
そしてM@Mは、名村造船所跡地をはじめ周辺土地を所有・管理する千島土地株式会社から展示場所などをご提供していただいています。
M@Mの目指すものって何ですか?
1.「ひろく」
国内、海外を問わずさまざまなところから
さまざまな人に来ていただける場所になる
2.「ふかく」
モリムラの活動や芸術・文化について
もっと知りたい方が深く学べる場所になる
3.「ながく」
人々が何度でも訪れたくなる場所
何時間でも過ごしたくなる場所になる
STAFF
ディレクター |森村泰昌
1951年、大阪市生まれ。京都市立芸術大学美術学部卒業、専攻科を修了。1985年にゴッホの自画像をまねたセルフポートレイト写真を発表。以降、美術史上の名画や往年の映画女優、20世紀の偉人たちなどに扮した写真や映像作品を手がけ続けている。映画出演や文筆活動にも精力的に取り組み、2014年には横浜トリエンナーレのアーティスティック・ディレクターを務めた。
近年の個展に、「Theater of Self」(2013年、アンディ・ウォーホル美術館)、「森村泰昌:自画像の美術史—「私」と「わたし」が出会うとき—」(2016年、国立国際美術館)、「The History of the Self-Portrait」(2017年、プーシキン美術館)がある。
また、パフォーマンス「芸術家Mの『にっぽん、チャチャチャ!』」が、フランスのポンピドゥー・センター・メス、東京のリーブラホール、NYのジャパン・ソサエティで上演された。
大阪市在住。
森村泰昌芸術研究所